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断捨離な日々 断捨離ができない | 思いだし にっき
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断捨離な日々 断捨離ができない

断捨離

 

おはようございます
毎日断捨離をはじめて1週間が経ちました。

これは断捨離に限らないのかもしれませんが・・・

頑張ってうまくいっているのにしんどくなったりすること、ないですか?

ふと、そんな思いで手が止まってしまう事って・・ 

 

断捨離したのに気持ちが重い?

はじめたきっかけは、なんだか片付いていない目の前の様子が自分の頭の中のような気がして、今一度整理しようと日々少しずつの断捨離をはじめたのでしたが・・・なんだかしんどい。

片付けるのは嫌いではないし、片付いた後の気持ちは軽く、気分もよくなります。
でも、それとは別に重苦しさが残っていることに気が付きました。

食器の断捨離をしている途中で疲れて、続ける気力が途切れて、友だちに息抜きに電話。

今では断捨離ということばは当たり前のように使われ、知らない人はあまりいないのでは?
というくらい定着しています。

ただそれをどう解釈し、どう受け取り、どのように自分の中にとりいれるか?
というのは人によっていろいろあると思います。

この友人も断捨離が世間の脚光を浴びたころに断捨離に挑戦してみた一人。

「いろんな本は読むけど、なかなかできない」と言い、冷蔵庫の中はいつも満杯。

自分でちゃんと自覚していて、もう使わないモノ使えないモノを発見しても捨てられないから、だから見ない。

と言います。

ここでやましたさんの提唱していることを思い出すと
それは〇〇型で、面倒なことから逃避している自分、
みたいな解釈がつくと思われます。

自分の中の重苦しい感覚の意味が少しわかったような気がしました。

本を読んだことで、DVDを観たことで、提唱していることは正しいし、それを実行していけば、本来の自分が見えてきて身も心も軽くなるだろうことはわかりました。

でも
でもです。

ここがネックだったんですね。

正しいこと=正しいのだからやらなければ

これは自分軸でも他人軸でも自分をよりよく見せたい、自分も正しいと自覚したい 的な 感情があるんだな
ということが分かった瞬間です(^^;

要はエエカッコシ~な自分の発見です。

それが無理に通じていたのですね。

嫌々やっていることではないけど、自分から発信してはじめたことのはずが、本を読んで本当はこういう意味というのにいきあたった時から、これ、自分軸の断捨離ではなく、やましたさん軸の断捨離で続けたことなんですね。

断捨離ということばを作って、これはこういうことです。
断捨離とは・・・というのを知るのは大事ですが、それを知った上で、では自分流の断捨離は?
いろいろあってもいいかなと思います。

単なる片付け術ではないとありますが、単なる片付け術としてとらえる人がいてもいいんじゃないかなと。

続けていくうちに本質にぶつかるかもです。

ともだちが捨てるのがいいとわかっていても捨てられないというなら、いずれ時間がくれば捨てられるでしょう、
今は彼女にとって、自分を見つめ直すという時期ではないのかもしれない。

 

 

 

私も最初は単なる片付け術の画期的な方法くらいの認識でした。

でも片づけをしていけば、自然とモノと向き合い、考えるという行為になります。

それによってどうなるか、どうとらえるかは、断捨離アンを目指す人は、やましたさんのことばを受けて真摯にやっていくのがよいでしょうし、私のようなずぼらな人間は、さぼりながら思い出したように実行しては反省したり振り返ったりして遅々とした進み方でいくのもよいのではないかと思います。

 

あの重苦しさは、その通りにやらねば、とか、まだできるのにやってないとか、これもあれも、もっとできるはず。

というもんもんとした考えが無意識にあり、断捨離しても、まだできていないところにばかり目がいくせいだと気づきました。

断捨離は完結というのがないようで、常に自分に問いかけ、よりよい自分というか、居心地のいい自分探しのようなので焦ってもしかたない。

今の自分にあった無理のない断捨離をすればいい。
それを自覚していないから重苦しい気持ちが残ったんだと。

ブログに書くことにより、止まっていた手が動く、行動ができる、無精者の私にはこうすることでやる気も生まれるかなという感じで始めたのが・・・

 
根本にある私のモットーは無理をしない(^^;)

でした。

その本来の自分を忘れてしまってはだめですよね(^^;

買った本に

「断捨離」の「片付け」とは、「自分」の軸を取り戻すこと。
時間の軸を「今」に据えること。
それは、「今」の「自分」にふさわしいモノ選びを繰り返し重ねていくこと。
それは、モノとの関係だけではなく、コトやヒトとの関係にも応用できること。
そして「断捨離」は誰にでも、できること。
そして、今すぐにはじめられること。

とあります。

また、

「断捨離」は「居直り」からスタートします。
「片付けられなくてあたりまえ」「どれを捨てたらいいかわからなくて当然」など、
自分を免罪することから始めます。・・・・・・・・・・・

できない自分を責めるのではなく、できないことを認めて受け入れそこからトレニーングが始まる。
ともあります。

これらを素直に受け取って実行するだけでよいのに、まったくめんどうな自分がいました。
わかったところで、もっと気楽に気軽に、断捨離を続けたいと思います。

 

 

今日の断捨離

というところで、今朝の断捨離は、以前人からもらったモノの断捨離をしました。

感情の中でせっかくもらったのにその人に申し訳ないとかで、使わないのにとってあるもの。

これは、本当に捨てづらく、箪笥の肥やしになっていました。

決めてしまえば案外簡単に実行できました。

もらったときには「ありがとう」と感謝し、どんな時に使おうかなと考えた・・

気遣いでくれた気持ちも嬉しかった。

でも使わなかった。

そして捨てたいのに、捨てることができない。

今はそれが気持ちの負担になっている。

ここで思いきらなくてどうする!と自分を励まし(^^;大袈裟?

いままでありがとうね。

使わなくてごめんね。

と紙袋に入れて寄付に。

いただいたモノは財布と、靴下と、小物バッグと、マフラーと・・・けっこうありました。

さよなら~~

 

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