毎朝TVなどでみる天気予報は最近よく当たるなあと感心しています。
一昔前は予報だから当たるも当たらないも半々なんて思っていた。
天気予報もいろいろあって気になる時は他局のものもみたりスマホで確認したり。
この天気予報っていつからあるんだろう?
昔はどうやって予報していたのかなど気になる事を調べてみました。
天気予報のはじまりはいつから?
1820年に、ドイツのブランデスという人が、地図上に気圧の分布を表したものが今の「天気図」にあたるもの。
これを天気予報の道具として使ったのが、初めての天気予報と言えるようです。
今のような天気予報ができる前は、人々は空の色や風の向き、雲の様子などの自然現象やいろいろな生物の行動の様子などから天気を予想していました。
これは『観天望気』と呼ばれています。
お天気の諺などにもありますね。
なかには信頼性に欠けるものもありますが、科学的根拠のあるものも多いです。
天気予報の歴史
1600年代に温度計や気圧計が発明され、気象に関する研究が進みました。
1800年代半ばにはヨーロッパ や アメリカで天気予報が始まりました。
日本では、明治5年(1872年)に日本で最初の気象観測所として北海道函館に気候測量所が開設されました。
明 治8年 には、東京気象台に気象器械・地震 計を据 え付け、気象業務 が 開始されました 。
ドイツ人技 師で航海士のクニッピングの尽力で、明治16年から気象電報を全国から収集できるようになりました。
同年、東京気 象台で初めて天気図が作製されました。
翌年には毎日3回(午前6時、午後2時、午後9時)の全国天気予報がスタートしたのです。
1884年6月1日は、日本で初めての一般向け天気予報が発表されました。
6月1日は「気象記念日」になっています。
この日を記念して定められたものなんですね。
日本での最初の天気予報は
「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」
という日本全国の予想をたった一つの文で表現するものでした。
それが東京の派出所等に掲示されました。
その後は、新聞やラジオが天気予報を取り上げたことで、どんどん身近になっていきました。
1953年(昭和28年)にテレビでの放送が始まったことで、日本での「天気予報」は、発展の勢いが加速し、3年後には気象台が現在の「気象庁」になりました。
1974年には「アメダス(地域気象観測システム)」が導入されて、降水量や風速などの情報量が増えました。
1959年には日本の気象庁でもコンピューターを導入したことで数値予報が開始され、天気予報の技術が向上していきました。
戦後は、1974年に地域気象観測システム(AMeDAS)が、1977年に静止気象衛星GMS(ひまわり)などが運 用を開始し、気象に関する様々なデータを集められるようになりました。
その後は5~8年の間隔で最新のコンピューターに更新することで、計算能力が上がり、数値予報の精度を格 段に向上させていきました。
しかし現在でもコンピューターの計算だけで正確な気象予報をすることはできません。
なので最終的には、地域特性や過去の事例に詳しい気象予報官が様々なことを検討し、予報を発表しています。
この先コンピューターの計算だけで天気現象を100%予報することが可能になることがあるのでしょうか。
天気予報の始まり さいごに
当たる当たらないは別として、もっと以前から始まっていたのかと思っていました。
昔は何か別の方法で予報があったのかと考えていたけど、天気予報の始まりはそんな昔ではなく明治だったんですね(^^;)
毎日気にしている天気予報も、まだまだ解らないことが多いです。
次は気象用語で何気なくきいていることばの意味も調べてみたいと思います。