大晦日に鳴り響く除夜の鐘。
今年も終わりなんだなぁ・・なんて思いながらきく鐘の音。
108回なるという、除夜の鐘は一般的には108の煩悩の数だと聞いてきたけれど、その煩悩の具体的なことってなんだろうという疑問がむくむく湧いてきます。
でもよくわからない。
仏教のことばって難しい。わかりやすい説明はないのだろうか?
除夜の鐘の108の煩悩とはなに?
除夜の鐘は108の煩悩の数だけ鳴らすといわれています。
108の煩悩とはなんぞ?
なんとなくわかる気がするけど108って、そんなにあるの?となる
ならば、その108の内容は?と言えば・・・
辞書だの仏教の考えだのみてもよくわからない。
いろいろ調べてみるが難解な答えばかりで、細かい内容までは出ていません。
自分の理解力のなさを知っても答えにはならない。
とりあえずはこんな感じだと思うことは
煩悩とは人間の心身の苦しみを生み出す精神の働き。つまり、私たちを煩わせ悩ませる、人間の苦しみの元になる考えや生き方 っていうことになるかな。
例えば、嫉妬とか妬みとか、そういうことに囚われると自分を苦しめるよ、ということかにゃ。
そうそう。そんなものがいっぱいあって、いろいろな考え方で108とはこれです。といってるようだね
煩悩の説明はいろいろな説があるので、どれが正しいとかじゃない。っていうことかにゃ。
除夜の鐘のページ で言った「人間の眼・耳・鼻・舌・身・意のそれぞれに・・・」という説は、人間が持つ欲望や心の汚れは、すべて6つの感覚器官からもたらされ、それらが感じとる感覚からくる36個の煩悩に、前世、今世、来世の3つの時間軸をかけて108つあるという考え方からきているということね。諸説あるうちのひとつというか・・
人間の苦しみの根源とは
煩悩はたくさんあるけど特に悩ませる根本的な煩悩が三つあって、これは三毒の煩悩 と言われてるのね。三毒の煩悩に疑、慢、悪見の三つを加えて、六大煩悩といいます。
三毒っていうのは貪(とん)瞋(しん)癡(ち)ていうのだけど説明をみればわかると思うよ。みんな思い当るでしょ^^
●三毒
貪(とん) ・・・別名貪欲、我欲。必要以上の欲望。執着すること。
瞋(しん) ・・・瞋恚(しんに)ともいう。自分の思い通りにならないものに対しての憎しみや怒り。
癡(ち) ・・・・別名を愚癡、我癡。真理(この世は常に変化している)を理解せず、自分が絶対と思い込む無知な心。
貪は貪欲とかいう、欲の心のことね。なければ欲しい、あっても、もっと欲しいという心。欲はきりがないよね。
うんうん。お腹すいた~なんか食べたいっていうのも食欲という欲なのか・・・
例えばにゃんが食べたいのにだめーって食べさせなかったら怒るよね(^^;)
それが瞋恚の心ね。欲が邪魔されたり、満たされなかったら出てくる怒りの心とかね
ありゃ。でも、それってひどいでしょ。怒るのは当然だし・・・ブツブツ・・
その愚痴。それが癡という三つ目のやつね。愚痴は、恨み、妬みなどの心のこと。
疑の人を疑う心、慢は慢心、うぬぼれの心だね。悪見は物事を曲がってみる心をいうのね。
アハッ、そしてこの三毒のボス的なのが、癡(愚痴)。「貪欲も瞋恚もすべては愚痴よりいでたり」と言われている。つまりは、さまざまな煩悩は全て「真理を理解しない無知」からきているというわけね。
ということは、煩悩がいっぱいあっても、ここ(真理)をおさえれば煩悩から逃れられるということなのかな?
煩悩とどうつきあう
煩悩の数の108回というのは、俗説みたいですね。
「とても多い」という意味で使われてるから </span >、つまり108の煩悩というのは、人間はとてもたくさんの煩悩をもっている、ということのようです。
煩悩の数や考え方も仏教の宗派によっていろいろあるし、108の煩悩というのは正確にはわからないということになります。
そんなこんなで、とにかくいっぱいある煩悩だけど、辛い修行をしたらなくなるかといえば・・・そう簡単にはいかない
じゃあ、どうするのさ。除夜の鐘をきけば消えるのか?w
まぁ、それはいろいろで、きいたから消えるとかではないけど、鐘の音をきくと心がおだやかになるというのもあるよね。(人によるけど)除夜の鐘をききながらこの1年を振り返り反省し、来年に向けて善い方向に向かえるように気持ちをひきしめるとかね。
仏教では、私たち人間は、「煩悩具足の凡夫 」と教えられているのね
「具足」っていうのは、それによってできているということなのね。
例えば、土でお団子作ったり、雪で雪だるまを作ることあるでしょ?
すこしずつ土や雪を落として行っても元にあるものはそれらだから。全部とっていっても何も残らないよね。
それと同じで人間は、煩悩によってできているという話です。
うん。煩悩を何とかなくそう減らそうとして、苦しい修行をする人はいっぱいいるけど、煩悩具足の私たちには、それはかなわぬ話ということなんだよね
人間は煩悩から離れられないのか。ではどうすればいいのかにゃん?
この煩悩あるがままで、本当の幸せの身になれると教えられたのが、お釈迦さまということです。
欲も人間の本能としてあるし、全てが悪というのではないのですよ。欲があればこそ発展してきたこともあるし、怒りを力に変えてがんばれるというのもあるよね。煩悩は人間には不可欠なものともいえるよね。
煩悩があるから人間である・・・と、煩悩は消さなくていいのかにゃ?
肉体が持って生まれたものなのでそれを消すことはできないということになるかな。
それでも欲望のままに生きるのではなく、理性で押さえるのも人間という・・うまく煩悩とつきあいながら、心静かに暮らせるように振り返りつつ生きていくのでいいんじゃないでしょうか(^^;
除夜の鐘の回数と煩悩とは さいごに
結局のところ最初の目的の108の煩悩の詳細な中身まではいきつくことができませんでした。
ただ、煩悩の108というのは、その数に意味があるというより、すごくいっぱいあるんだという事。
そして、生きていく上で煩悩を消すことは至難の業?
なので、なんらかの煩悩を消したいと思った時には、自分の中を覗いてみて、どうしたら鎮められるか考え行動できるのも人間ということですね。
人間て自分が一番ていうところがありますよね。
自分を守るのに都合のいいことは喜ぶけど、脅かすものには反発したり怒りの対象にするよね。
仏教ではそこんとこを「他者あっての自分」と考えるように教えがあります。
仏教徒ではないのですが、いろいろ勉強になりました。
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