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駄菓子から元祖梅ジャムが消えた 昭和の味駄菓子の歴史と駄菓子屋の今 | 思いだし にっき
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駄菓子から元祖梅ジャムが消えた 昭和の味駄菓子の歴史と駄菓子屋の今

 

この前ニュースというか、テレビで梅ジャムが消えたという話題をやっていたんですね。

お祭りの屋台や紙芝居で販売されていた昭和の味がまた一つ消えてしまいました。
なんとも寂しい話です。

そこで駄菓子についていろいろ調べてみました。

 

「梅ジャムが消えた」というニュースに えっ?と思ったら、長年梅ジャムを作っていた方が、体力の限界を感じて引退して作るのを辞めたという話でした。

後継者もいないし、作り方は誰にも教えていないということで製造終了となったのです。

ツイッターでも「惜しすぎる」「寂しい」などの昭和の味が消えることを悲しむ声が多く寄せられたようです。
梅ジャムに限らず駄菓子、そして駄菓子屋も次々姿を消しています・・・そんな駄菓子についてこの機会にちょっと調べてみました。

 

梅ジャムとは、どんなもの?

「梅ジャム」は、梅肉に砂糖やでんぷん、小麦などを加えて煮詰めたペースト状の駄菓子です。

昭和20年代、街の路上で子供たちは紙芝居を見て、そこで駄菓子を買っていました。

当時、せんべいに塗って味を変えられるような一品があれば人気が出るのではと考え、梅の花本舗(元祖梅ジャム)の高林さんが開発しました。

遊び疲れたときに食べると甘じょっぱい味が好まれて、関東を中心に長い間愛され続けてきました。

梅ジャムは創業当時から高林さんが1人で製造していて、手作業の割合も多く87歳の身体ではもう作るのが難しいとのこと。

作り方も誰にも教えておらず後継者もいないため、製造終了に至ったといいます。

賞味期限は1年で、市場に出回っている在庫分が最後の「梅ジャム」になります。

梅ジャムは最初紙芝居で売られ、昭和20年代後半に紙芝居が衰退して駄菓子屋が流行すると、駄菓子屋へ。

当初は薄いせんべいに梅ジャムを盛りつけて売っていましたが、のちに手間を省くために小袋入りが発売されました。

ソースせんべいに塗ることが定番となっていましたが、そのまま袋から直に食べる子供も多かったんですね。

昭和の時代の子供たちには、駄菓子の定番として好まれていました。

のちに駄菓子屋が衰退すると縁日の屋台などで販売されました。

平成期は各社が類似商品を多種類発売しています。

 

駄菓子の歴史

今もある駄菓子屋では昔ながらの懐かしい昭和の駄菓子が店頭に並んでいます。

駄菓子とは、主に子供向けに製造販売される、安価な菓子のことをいいます。

元は江戸時代に雑穀や水あめなどを材料に使って作られたもので、庶民の間食として食べられ、安さから一文菓子と呼ばれていたようです。

その頃の駄菓子は材料が制限され、白砂糖などは使えなかったんですね。

駄菓子の名前は、高級菓子の対照としてつけられ、関西では雑菓子とも呼ばれていました。

現在、駄菓子として売られているものは、明治時代からの流れを受け、戦後に発達したものがほとんどです。

種類は豊富で、パッケージにその時代の人気のスポーツ選手やアニメキャラクターなどを使用したものや、クジ引きが出来、当たりが出ればおまけがもらえるものなど、子供たちを惹きつける工夫がされています。

昭和の時代には駄菓子屋が全国の街角に見られていましたが、現在では少なくなり、コンビニや大型ショッピングセンター、スーパーマーケットなどで売られるようになりました。

少子化や食生活の変化、嗜好の変化などで、駄菓子業界も淘汰の時代を迎えているようです。

中小駄菓子メーカーの廃業がニュースなどでしばしば報道されていますね。

駄菓子のはじめは古くても、今あるような駄菓子の歴史は、明治・大正の時代から文学作品などにも登場していることからそのあたりの時代、全盛期が昭和という割と新しいものなんですね。

時代の中で、この先どんな風になっていくのでしょう。

 

駄菓子屋

販売形態が変わりつつある中で、今もまだ「駄菓子屋さん」というのはけっこうあります。

江戸時代の無店舗の飴売り商人が今の駄菓子屋に通じるように思います。

昭和の駄菓子屋の大半は個人経営で、他の商売のついでに営業していた店も多かったようです。

住まいの一角を駄菓子屋の店舗にしていたり、文具店やタバコ屋などのついでに営業していたり・・・

駄菓子屋の店舗には、商品陳列用の棚や商品を入れて陳列する木箱のケースなどが置かれ、モノによってはビンに入った菓子やフックに引っかけて販売される商品などが所せましと並んでいます。

また、駄菓子だけでなく当時人気の野球選手やアニメのブロマイド、銀玉鉄砲、花火、メンコ、風船といったおもちゃ類も置いてありました。

他には、ガチャポンなどを置いたり、簡単なゲーム機を設置したりして子供の興味をひいていました。

駄菓子屋は子供らが年齢層に関係なく集う場として存在していた、いわばコミュニケーションスペースでもあったんですね。

店舗は小学校の近くにあることが多く、学校の帰り道に立ち寄ったりすることができました。

現在も営業している店舗は昔ながらの面影を残したものから、現代風にリメイクされた店舗までさまざまあるようです。

現代では、著しい減少傾向が続いていますが、駄菓子屋に通って育った世代の一部は思い入れを抱いている方や、「昭和レトロ」に新鮮さを感じる若い世代もいます。

そのため、大型店舗に駄菓子の売り場を設けたり、展示施設ができたりしています。

 

店舗や展示場

・菓子屋横丁(駄菓子横丁、駄菓子屋横丁) – 埼玉県川越市元町。自営の小規模な製造業者の直売が軒を連ねている。

・二木の菓子 – 上野・アメ横の店舗では、駄菓子のまとめ買いにもばら売りにも対応している。

・神戸物産 – 日本各地で「業務スーパー」を展開する小売業。一部店舗で駄菓子のまとめ売りを行っている。

昭和レトロ商品博物館    青梅市

などがあります。

お住まいの地域で駄菓子屋を検索してみると、まだまだあるようですね。

 

駄菓子の種類

駄菓子は、現代でも駄菓子屋さんのほかスーパーや百均などにもコーナーがありますが、また、ネット通販などでも買うことができます。

商品は時代と共に少しずつ消えたものもあるようですが、昔なつかしのものもしっかりあります。 街を歩いていて、駄菓子屋さんを見かけるとつい入りたくなる方もいると思います。 そんな駄菓子をちょっと並べてみました。 昭和の味 駄菓子

元祖梅ジャム
あんこ玉
ぷくぷくたい
すもも漬け
フエガム
さくらんぼ餅
ベビースターラーメン
にんじん
フルーツガム
麩菓子
カルメ焼き
きなこ棒
糸引き飴
こんぺいとう
ぽんぽんせんべい
ビッグカツ
ラムネ菓子
甘イカ
飴玉
鈴カステラ

懐かしい~と思う方も、へぇ、こんなのがあったんだと思う方も・・・試しに食べてみませんか、昭和の味がしますよ(^^)

 

駄菓子・梅ジャムまとめ

梅ジャムが消えた話を耳にして、しばし駄菓子の存在に思いをはせてみましたが、なんだかほんわかした気分になりました。

昭和レトロの展示館などにたまに行くのも楽しいかもしれません。

消えた元祖梅ジャムはネットでも在庫切れのようです。

類似品の梅ジャムはあるようなので、どんな味?と思う方は一度お試しを(^^)

 

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