春になるとお花見シーズン到来とばかりに、お花見の名所には人が集い、桜の有名な公園などでも、その時期には朝から場所とりのブルーシートが敷き詰められ、桜どころではない様子が見られます。
はて、当たり前に行われているお花見ですが、いつからの風習なのでしょう?
お花見にも本来の意味や由来があるはず。
花を観賞するより、宴会が主役になっている現在のお花見はいつからそうなったのでしょう?
疑問に思ったら調べるのが一番。
本来の意味や由来、なぜ桜なのか・・なんていうことを調べてみました。
お花見とは なぜ桜なの?意味と由来
花見とは?と意味を調べればことばの通り、「主に桜の花を鑑賞し、春の訪れを寿ぐ(ことほぐ)日本古来の風習」となります。
でも、梅や菊の花でも行われているんですよね。
梅の場合は「梅見」菊の場合は「菊見」でも桜は「桜見」ではなく『花見』となります。
桜は特別?ここらへんが古くからの習慣となった意味があるようです。
元々の日本の花見というのは、農耕生活に結びついた「サクラ (穀霊の憑りつく神座の意) 」の花の花鎮 (しず) めに発したもので、人々の生活に根ざした宗教儀礼、民俗的行事だったようです。
桜の木が花見の木になったのは「さくら」という名前からきているようですね。
「サクラ」という語源には諸説あって、そのひとつに田の神様の依代という意味があります。
「サクラ」の「サ」は田の神様のことを表し、「クラ」は神様の座る場所という意味があります。
「サクラ」は田の神様が山から里に降りてくるときの依代(よりしろ)を表すとされています。
また、桜の花が稲の花に見立てられ、その年の収穫を占うことに使われたりしたため、「サクラ」の代表として桜の木が当てられるようになったという説もあります。
つまりは、
豊作を願って、桜のもとで田の神様を迎え、感謝する行事。
その際に神様を迎えるための料理や酒を人も一緒にいただいた
ということが、本来のお花見の意味だったんですね。
花見の宴は花の下に座ることによって花粉の精気を吸収する健康法でもあったようです。
それが、行事となって、昔は桜の花を観賞するために野山に出かけ、酒や馳走を用意して花を見ながら宴を催していたということです。
特定の庭園の桜のもとで行う例も多く、江戸時代に大都市を中心に発達した庶民の花見の風習なんですね。
花見の席では持参の花見弁当を愉しむのが伝統的ですが、花を見ながら飲むお酒は花見酒と呼ばれ風流なものでした。
現在の花見と称してどんちゃん騒ぎをするのとは少し違うようです。
お花見の風習はいつから
農耕の行事がいつから庶民が楽しむ宴に変わったのでしょう?
日本のお花見は奈良時代の貴族の行事が起源だといわれています。
奈良時代には遣唐使を介した中国との交易が盛んで、中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていました。
貴族たちの間では梅が珍重され、好まれていました。造園する際には梅を入れることが定番となっていたようです。
この頃の花見は「梅見」だったんですね(^^)
それが、平安時代には桜に代わってきました。
嵯峨天皇が812年3月28日に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催したとあり、時期的に花は桜が主役だったと思われます。
これが記録に残るお花見のはじめと考えられています。
桜に関しては、前年に嵯峨天皇が地主神社の桜を非常に気に入り、以降神社から毎年桜を献上させたことで、桜の花見は貴族の間で急速に広まりました。
831年からは宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられました。
894年には菅原道真が遣唐使を廃止したのを機に日本独自の文化が発展していったともいわれています。
これを契機に花は梅から桜に変わっていったことが古今和歌集などにみてとれます。
平安時代には桜は庭作りの必需品となって、花見の名所の京都・東山もこのころ誕生したと考えられています。
鎌倉・室町時代には貴族の花見の風習が武士階級にも広がりました。
この頃には既に地方でも花見の宴が催されていたようですね。
桃山時代の大規模な花見は、豊臣秀吉が行った吉野の花見(1594年)や醍醐の花見(1598年)があります。
花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代といわれています。
このころ桜の品種改良も盛んに行なわれた。江戸で最も名高かった花見の名所が忍岡で、天海大僧正によって植えられた上野恩賜公園の桜です。
しかし格式の高い寛永寺で人々が浮かれ騒ぐことは許されていなかったため、1720年に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山に桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励したそうです。
江戸の城下・近郊の花見の名所は上野寛永寺、飛鳥山、隅田川堤の他にも、御殿山、愛宕山、玉川上水などがありました。
明治維新後に大名屋敷の荒廃や文明開化・西洋化の名の下に多くの庭園が取り潰されました。
同時に、そこに植えられていた数多くの品種の桜が切り倒され燃やされたのです。(TT;)゜
江戸時代に改良された多くの品種も絶滅の危機に瀕したのですが、駒込の植木職人・高木孫右衛門はこれを集めて自宅の庭に移植して84の品種を育てました。
1886年に江北地区戸長の清水謙吾が村おこしとして荒川堤に多くの品種による桜並木を作り、1910年には花見の新名所として定着しました。
78種が植栽された荒川の桜は各地の研究施設に移植されて品種の保存が行なわれ、全国へと広がりました
もっともポピュラーな桜の品種であるソメイヨシノは、満開時の見事さと散り際の花吹雪が美しい桜です。
今では桜の代名詞ともなりつつあるソメイヨシノですが、実は江戸時代の桜といえば、ヤマザクラやエドヒガンで、ソメイヨシノは明治時代以降に広まった新しい品種だったんです。
ソメイヨシノは江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成されたんですね。
初めサクラの名所として大和の吉野山にちなんで「吉野桜」として広まったのです。
でも、上野公園のサクラの調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるので、染井村の名を取り「染井吉野」と命名したといいます。
現在、ソメイヨシノは東京都の花に制定されています。
桜の開花予想日を線で結んだ桜前線の標準木ともなっています。
お花見の文化は日本だけ?
毎年行事として行われるお花見ですが、これは日本だけの文化なのでしょうか?
桜の木は日本以外の諸外国にもありますよね。
例えば、アメリカ合衆国・ワシントンD.C.のポトマック河畔には1912年に東京市から寄贈された桜が植えられています。
毎年全米桜祭りが行われているそうです。
同祭ではパレードやステージショーも開催され、アメリカ最大の日本文化祭となっているということです。
ニューヨークのブルックリン植物園内のサクラの遊歩道も第一次世界大戦後に日本から贈られ、現在は桜祭りが開催されているそうです。
アメリカでは他に、ジョージア州メイコンでは多数の桜が植えられており、「世界の桜の都」を自称しており、「国際桜祭り」が開かれ、ハワイ州では大規模な桜並木はなく、ハワイ島ワイメアで「ワイメア桜伝統祭り」が2月初旬に開かれる・・・と。
でも日本のお花見とはだいぶ違いますね。
アメリカでの桜は、お花見というよりお祭り?
中国では日本人が直接植えたり、贈ったりしたサクラがある大連市旅順口区、武漢市などが有名です。
台湾では1月下旬から4月頃まで様々な品種のサクラが咲き、陽明山や阿里山といった名所に多数の花見客が押し寄せるようです。
韓国のソウルでは、4月初旬頃からサクラが咲き始め、漢江沿いの1600本以上のソメイヨシノの桜並木周辺では「永登浦 汝矣島 春の花祭り」が開催され、数百万人が訪れるといいます。
フィンランド・ヘルシンキのサクラ公園は2007年に造られました。
花見と日本文化祭が開催されているようです。
ブラジルでは日系人移民がサクラの植樹をする例が見られました。
サンパウロのカルモ公園には約4000本のサクラがあります。
海外のお花見というのは、花の時期に花を見に行く、散歩がてら見る、桜の見えるカフェから外の桜をみながらお茶を飲む・・・というような楽しみ方のようです。
日本のようにみんなで集ってお弁当楽しんだりお酒を飲んだりというのはないようですね。
日本のお花見のはじまりにあるように、元は田の神様を迎える料理や酒を桜の木の下で一緒に頂くという習慣とはちがい、花の見ごろに花を楽しむといったものなんですね。
ということは、桜は世界各国にもありますが、日本のような「花見の文化」というのとは違い、これは日本独自のものといえそうですね。
花見とは さいごに
お花見については、いろいろわかったところで、お花見を楽しみたいと思いますが・・・
日本はマナーが良い国と言われているようですが、最近はどうなのでしょう?
お花見に限らずさまざまなイベントでもマナー?なにそれ?的な人たちを多くみかけます。
お花見でも、終わった後のゴミの始末や自分たちだけ楽しめればいい的な騒ぎ方をしている人たちが目につきます。
せっかくの行事です、花を愛でてお酒やお弁当を楽しむのは日本ならではの素敵な習慣だと思います。
マナーは決まりではありませんから罰則もありません。
でも、気持ちよくすごすためには大切なものだと思います。
そんなことも思いつつ、桜の咲くのが待ち遠しいこの頃です。