3月の祝日に春分の日があります。
日本には四季があり、一年を二十四に分けた季節の節目の節気というものがあります。
その中でも、春分の日と秋分の日だけは、国民の祝日に制定されて休日になっています。
春分の日の意味やなぜ祝日なのかについて調べてみました。
春分の日とは
一年を季節の節目で分けた二十四節気というのがあります。
太陽が移動する天球上の道を黄道といい、黄道を24等分したものを二十四節気といいます。
二十四節気の内、太陽がもっとも南の位置になると、それが「冬至」です。
それ以降は、太陽の位置は北へ移動しもっとも北の位置に達すると、それが「夏至」です。
その冬至と夏至の間、中間点にあるのが春分。
夏至と冬至の中間点にあるのは秋分になります。
そして、冬至と春分の中間、春分と夏至の中間・・・とそれぞれの中間に
立春、立夏、立秋、立冬の「四立」があります。
これらを「八節」といいます。
一節は45日。これを15日ずつに3等分し「二十四節気」となっています。
春分は(秋分も)太陽が真東から昇って真西に沈み、昼夜の長さがほぼ同じになる日でもあります。
仏教の「極楽浄土は西にある」という教えから、太陽が真西に沈む春分(秋分も)は、此岸と彼岸が最も近づく日とされています。
(此岸は迷いの現実の世界。彼岸は悟りの仏様の世界)
春分の日を挟んだ前後3日を彼岸と呼び、その中日が春分にあたるのを春彼岸といいます。
彼岸の期間中は、西の太陽に祈りを捧げ煩悩を払い、普段仏道修業をしていない人達も「悟り」をひらけるようにという意味合いがあります。
この期間に仏様の供養をすることで功徳があり、極楽浄土へ行くことができると考えられていたようです。
この時期、習慣にもなっているので、お彼岸にはお墓参りをするという方も多いと思います。
近年の春分の日
2019年 3月21日 木曜日
2020年 3月20日 金曜日
2021年 3月20日 土曜日
2022年 3月21日 月曜日
2023年 3月21日 火曜日
2024年 3月20日 水曜日
2025年 3月20日 木曜日
春分の日はなにを祝うの
昔の人は、自然に感謝し春を祝福する日としていました。
この頃は、長い冬眠から目覚めた動物たちが動き始め、人々もやる気に満ち溢れている時期でもありますね。
また、同時に祖先に感謝をするお祭りを行い、この日の前後にご先祖様への感謝の気持ちを伝えるためにお墓参りに行く習慣もあります。
この風習は農村部で長く続いてきました。
春は五穀豊穣を祈り、秋は実りある収穫に感謝する習わしがあったのですね。
その後1948年に、自然に感謝する日「自然を称え将来のために努力する日」と法律で定められましたが、現在でも、春分の日というと「お彼岸」のイメージが強く残っています。
また、春分の日に「ぼた餅」を食べる習慣もありますね。
なぜ牡丹餅なのかというと、ぼた餅に使われる小豆が朱色なことから、朱色には邪気を払う力があるとしてご先祖様に小豆を使った「ぼた餅」をお供えするようになりました。
そして、お供えした時に家族で一緒に食べていたのが、現代まで風習として伝わったようです。
簡単にいえば、春分の日にはご先祖様への感謝の気持ちを込めてお墓参りをしたり、自分たちを生かしてくれている自然を慈しみ感謝する日ということです。
そして、邪気祓いとしてご先祖様と共に牡丹餅をいただくということでしょうか。
春分の日が祝日なのはなぜ?
二十四ある節気の内、なぜ春分の日(と秋分の日)が国民の祝日で休日扱いなのでしょう?
なぜこの二つの節気だけといえば、戦前の日本は天皇制で、国民の休日というのは皇室の行事を中心に定められていました。
春分の日は元々「春季皇霊祭」秋分の日は「秋季皇霊祭」という名称で皇室の重要な宮中祭祀が行われる日でした。
皇霊祭とは、歴代の天皇、皇后・皇親の霊を祭る儀式です。
宮中において祖先を祭る日となったのをきっかけとして、一般市民の間でも祭日とされました。
戦前は、皇室だけでなく一般国民にとっても非常に大切な祭日だったんですね。
敗戦後GHQの政策で、皇室と国民を切り離すことで、日本を弱体化させる効果があると考えたようです。
それにより、天皇や皇室に由来する事柄は、否定され排除されていきました。
祭日なども次々変更され、皇霊祭も1947年(昭和22年)に廃止されてしまいました。
宮中における皇霊祭は、その後も続いているのですが、国民からは完全に切り離されてしまいました。
それが、現行の祝日法ができ、
春季皇霊祭は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨として
「春分の日」と変わったのです。
なので、春分の日と秋分の日だけは、単に節気の1つというだけでなく、本来の意味は失われても祝日という形で残ったということなんですね。
春分の日とは さいごに
こうして調べてみると、天文的にはこうやって決まっています、とか、こういうことに感謝する日です・・・というのは、本来からあった意味とは少し離れてしまっているようです。
こんなところにも政治の力が動いているというのは、各行事においてもありますが、改めて、知るということも大切だというのを感じました。
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