こどもの頃、晴れてほしい時には、よく「てるてる坊主」を作って軒先に吊るしたりしませんでしたか?
誰にきいて、いつから知っていたのかわからないけど、てるてる坊主で雨がやむってなぜか思っていませんでしたか?
いつごろからある風習なのか?気になりますよね(^^)
なので少し調べてみました。
てるてる坊主の由来と起源
てるてる坊主は、昔、江戸時代中期にはすでに作られていたということです。
その頃は折り紙のように折ってつくられていて、より人間に近い形だったと云います。
これを半分に切ったり、逆さに吊るしたりして晴れの祈願をしたそうです。
てるてる坊主は祈願の末、晴天になった後には、顔に瞳を書き御神酒を供えて、川に流したという記述があります。
現在のてるてる坊主とは違う形だったんですね。
えっ?晴れると顔を書くっていうことは、てるてる坊主って元は顔なしなの?!
それについても調べてみました^^。
まずは起源から。
照る照る坊主(てるてるぼうず)は、日本の風習の一つですね。
翌日の晴天を願い、白い布や紙で作った人形を軒先に吊るすものです。
てるてる坊主という名前はもとから「てるてる坊主」ではなく、『日本国語大辞典』によると、江戸時代の文献では「てり雛・てり法師・てりてり坊主・てるてる法師・てるてる坊主・てれてれ法師」など、実にさまざまに呼ばれていたようです。
地域によってもいろいろな呼び名があります。
日本と類似している風習があるということですね
掃晴娘とは?
中国では「坊主」ではなく、箒を持った女の子『晴娘(チンニャン)』という名の少女にまつわる伝説がその起源といわれています。
昔、北京に晴娘という美しい娘が住んでいました。
晴娘は切り紙が得意な賢く気立てが良い娘でした。
晴娘の切り紙は、皇宮の后妃や公主たちも買い求めるほどの人気ぶりでした。
ある年の六月、北京をこれまでに無い大雨が襲いました。
雨は降り続き、一向にやむ気配がありません。
雨の猛威は北京を襲い、人々は雨が止むよう神様に祈願しました。
でも何の効き目もありませんでした。
晴娘も屋根の上で天に向かい雨が止むよう祈願したところ、天からのお告げがありました。
「その美しい娘を差し出せば晴れにしよう。差し出さなければ都を水没させる」と。
おつげは東海龍王の妃になる事でした。
そして、晴娘は「命に従って天に昇ります。」とお告げを承諾したのです。
その瞬間、一陣の風が晴娘を天へ連れ去ってしまいました。
人々を大雨から救うため、少女が犠牲となり天に昇ったんですね。
すると、空は雨雲を箒で掃いたように晴れわたったといいます。
そしてお告げ通り、雨は上がり人々は水害から救われたのでした。
以来、六月に雨が降り続くと、切り紙の得意だった彼女を偲んで若い娘たちに命じて箒(ほうき)を持った女の子の切り紙を作らせ
門に掛ける事が風習になったということです。
日本のてるてる坊主
日本では、天候の祈祷をする僧侶に因んで「坊主」になったのでは、といわれています。
昔、降り続く雨に困っていると、ひとりのお坊さんがやって来ました。
そのお坊さんにお経を唱えてもらうと必ず晴れると云われている有名なお坊さんでした。
そこで殿様の前でお経を唱えてもらいました。
ところが、次の日も雨は降り続き、いっこうに止みませんでした。
罰として、お坊さんは首をはねられてしまいました。
その首を白い布で包んで吊るしたところ、次の日はよく晴れました。
これがてるてる坊主の始まりになったということなのだそうです。なんだかなぁ・・・
てるてる坊主の顔の意味
てるてる坊主の正式な使い方としては、てるてる坊主には顔を書かずに吊るす。
そして翌日晴れたならば顔を書いて処分するとなっているようですね。
つまりは、願いが叶ったら、お礼に顔を書き、感謝を込めて処分するということ?なんでしょうか。
猫にゃんと同じで正直顔のないてるてる坊主って、ちょっ気味悪い。
・・・なんて思ってしまいますが、ものは考えようで、晴れた時にかわいらしい顔を書いてあげて感謝を伝えるというのもいいか。
とも思えるね。
てるてる坊主の由来 さいごに
ということで、なにも知らず、無邪気に明日天気になあれと歌ってた子供のころとは
いろいろわかると気持ちも違ってくるけど・・・
とにかくてるてる坊主を作る時には顔を書かないほうがいい。
ということですね